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Column12 インド向け輸出マッチ

インドのマッチ事情

 「魅せられて、インド。」という展覧会が博多、福岡アジア美術館で2012年1月21日から3月11日まで開催された。館内には日本の著名なアーチストによって描かれた様々なインドに併せて個人が集めまくったインドの大衆絵画や染織、それに美術館内での展示には似つかわしくないようなチープでキッチュな映画スターの印刷物、お土産にもなるガネーシャ神像、華やかなインド衣装をまとったバービー人形などのコレクションに交じって筆者所蔵の日本製のインド向け輸出マッチラベルも展示されました。

福岡アジア美術館 魅せられて、インド。展

Column Content

Column01|マッチの発明は、ヨーロッパから
Column02|清水 誠と新燧社商標
Column03|国産第一号の燐票いろいろ
Column04 | 岩谷の天狗煙草票
Column05 | スウェーデンにある世界唯一のマッチ博物館
Column06 | 苫小牧市博物館 「マッチワンダーランド」展覧会記
column07 | 神戸大学付属図書館「近代神戸の源流を訪ねて・鈴木商店とマッチ産業の盛衰」展覧会記
column08 | アンデルセン「マッチ売りの少女」の絵本
column09 | マッチと花火
column10 | 木版の版木商標
Column11 | 中華民国向け燐票
Column12 | インド向け輸出マッチ
Column13 | 幻の大元帥票・前編
Column14 | 幻の大元帥票・後編

 なぜにインド国内でマッチを製造せずに日本やスウェーデンからの輸入に依存していたかの国内事情を探ってみると、第一にインドにはマッチ製造技術者がいなく工場が建設できないこと、第二にマッチ軸木の適材となるヤナギ科のドロノキ、アスペン等は寒帯に産する樹木であるためインド国内には育たないこと、第三に雨期が多い気象条件のため高湿度はマッチ製造に適さず、特にベンガル、ビルマ地方などは雨期が半年に及ぶことなどがあげられます。以上の要因のため、1920年代に日本のマッチ製造業者がインドに製造工場を建設するまでは海外からの輸入を余儀なくされます。
 インド国内でマッチ製造が容易でない反面、電気の普及率が低く灯火の使用が一般的であるのと煙草の喫煙率が高いことによりマッチの消費量が多いという国内事情があります。1910年前後のインドの人口約2億3,000万人に対してマッチの消費量は1年あたり約1,500万グロス(並型マッチ小箱で21億6,000万個)にもなります。

 日本は明治20年代(1887〜)から神戸、大阪の居留地に構えたインド人貿易商によって日本製のマッチがインドへと輸出され始めました。さらに、明治26(1893)年には日本郵船がボンベイ航路を開始したため、インドへ直接に輸出できるようになり日本のマッチ製造業者が、より進出し、安全マッチを発明したマッチ製造の本場、スウェーデン企業との熾烈な販路争奪戦を繰り広げていきます。
 そんななか、大正3(1914)年に勃発した第一次世界大戦(欧州大戦)時には戦場となったヨーロッパでは北欧のスウェーデンもマッチの生産が激減し、インドへの輸出ルートも途絶えたことで日本の独壇場となり、インドのみならずアジア、中東、エジプト、南アフリカほか全世界へ販路拡大を果たします。この時期は日本にとっては一番の得意先である中国を凌駕するほどインドへの輸出が急激に増大します。そして、日本のマッチは生糸や綿織物と肩を並べる日本の主要輸出花形商品にまで飛躍します。
 日本製マッチのインドへの輸出も華商による中国向けと同様に日本に滞留していたインド人商人がインドとの橋渡しの重要な役目を担います。

インド向け輸出マッチ インド向け輸出マッチ

 しかし、大戦が終結し、ヨーロッパが安定しはじめてくると、マッチ大国スウェーデンは猛烈な販路復権を計ってきます。スウェーデン製マッチは日本より高価に付いてもマッチ軸木に適した北欧ならではの木材による高品質を保持していました。対して日本は低価格でもスウェーデン製より低品質であることが妨げになり売上げが伸び悩み、それがさらに粗製乱造をきたし日本製マッチは販路縮小の危機に追い込まれていきます。
 英領インドでは1922年から政府の国内工業に対する保護政策として大幅な輸入関税引き上げが実施されます。これに対してスウェーデンはインドでマッチ工場を建設し、スウェーデンマッチの傘下でマッチを生産していきます。
 年々劣勢を極めた日本も、インド政府がとった高額な輸入関税への対抗策としてインド人貿易商社と日本のマッチ製造業者とのパートナーシップを結んだ日印合弁・提携マッチ工場をインドにも設立して販路を支えました。
 しかし、その後、第二次世界大戦で敗戦した日本は世界での販路を一気に失い、インド国内では品質の劣るインド産マッチの他はスウェーデン・マッチが席巻している現状となっています。

インド向けマッチラベル意匠

 日本政府、農商務省特許局発行の国内における登録商標のすべてが載っている『商標公報』によると、明治31(1898)年12月21日から大正13(1924)年8月14日までの26年間で当局に申請されたマッチ商標の内、商標権利者がインド人貿易商による登録商標は767件となり、加えて商標権利者が日本のマッチ製造業者によるインド向け輸出商標も合わせるとおよそ2,000件にもなります。日本のマッチ製造業者は播磨幸七、喜三良の鳴行社(神戸)、高島米吉、朝一の高島燐寸(姫路)、日本燐寸製造株式会社(神戸)、井上貞治郎の公益社(大阪)、土井亀太郎の土井燐寸(大阪)などがインド向けの意匠を登録しています。
 画題についてはインド人貿易商がアートディレクター的立場も兼任して日本人の絵師の手により様々なデザイン柄のマッチラベルがインド人の宗教、神話や趣味、嗜好に合うように仕立て上げ、定番の人気商品を作り出していきました。特に、当時大変人気のあった画家ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーが描いたヒンドゥー教の神々や神話の一場面の石版複製印刷物に似せて日本人の絵師連に描かせていたものが多数みられます。

※参考文献:日印合弁・提携マッチ工場の成立と展開 1910-20年代/大石高志

マハラジャ クリシュナ神にガルーダ、ハマスーン カーリー神 サラスバティー神 ガネーシャ神

「商標公報」 クリシュナの悪戯 ガルダに乗るヴィシュヌ神票 ガルダに乗るヴィシュヌ神・石版画[所蔵:黒田 豊氏]

シヴァ神とパールヴァティー票 シヴァ神とパールヴァティー・石版画[所蔵:黒田 豊氏] ガンガーの降下票 ガンガーの降下・石版画[所蔵:黒田 豊氏]

シヴァ神の家族票 シヴァ神の家族 現在のインドでのマッチ

主なインド人貿易商とインドのマッチ会社

エサホーイ商会 A.M.Essabhoy 明治20年代参入業者
タタ商会 Tata 明治30年代中期参入業者
パバニー商会 Pabhaney 明治30年代中期参入業者
フテハリー商会 Futehally 明治40年代参入業者。綿布も扱う
アブドラリー商会 Abdollaly 明治40年代参入業者
ヒルジー商会 Hirjee 大正3年から参入業者。陶磁器、ガラス器も扱う
ピール・ムハンマド商会 Pir Muhammad 大正3年から参入業者。陶磁器も扱う
M.A. カーター商会 M.A. Kadars 大正3年から参入業者
メヘタ商会 Mehta 1879年設立。傘も扱う
エサビ・マッチ Esavi Match エサホーイ商会が1923年設立。日本、スウェーデンのマッチ製造先進業者と組んで製造
ラングーン・マッチ Ramgoon Match 1924年設立の日印合弁資本マッチ工場
メヘタ・マッチ Mehta Match Factory マッチ製造先進業者と組んで製造
カルカッタ・マッチ Calcutta Match Works 1925年設立の日印合弁資本マッチ工場
アダムジー社 Messrs. Adamjee Hajee Dawood & Co. 1924年からマッチ製造開始
ダラムジー社 Messrs. Dharamsey & Co. 1920年代マッチ製造開始
ブラサンナ・マッチ Prasanna Match Factory 1921年操業開始
ニュー・スンダルバン・マッチ New Sandarban Match Factory Ltd. スンダルバン地域に工場設立
カリームボーイ・マッチ Karimboy Match Mannifacturing Co. 1925年設立
オスマン・マスティカン社 Osman Mastikhan & Co. 1923年、インド人商人によって設立
マルワゴン・マッチ会社 Malwagon Match Co. 1925年、オスマン・マスティカン社から改名
西インド・マッチ会社 WIMCO スウェーデンマッチ傘下
アッサム・マッチ社 Assam Match Co., Ltd. スウェーデンマッチ傘下
ビルマ・マッチ社 Burma Match Factory 華商からインド人商人に移り、さらにスウェーデンマッチに買収される

インド向け意匠を登録した主なマッチ会社

鳴行社 播磨喜三良 神戸
良燧合資会社 瀧川儀作 神戸
直木燐寸 直木政之介 神戸
日本紙軸燐寸製造合資会社 船井長治 神戸
小林燐寸株式会社 小林吉右衛門 神戸
日本燐寸製造株式会社 直木政之介 神戸
中央燐寸株式会社   神戸
昇栄燐寸合資会社   神戸
第二明治社 田中喜八 神戸
友成燐寸工場 友成恒太郎 神戸
神盟合資会社   神戸
明照社 山口熊吉 神戸
神燧社 安田朝吉 神戸
栄燧社 酔月富蔵 神戸
開燧社 黒原好二 神戸
  中島勝治郎 神戸
高島合名会社 高島朝一 姫路
鷲尾明燐合資会社 鷲尾長三 明石
増本燐寸工場 増本藤次郎 明石
網干燐寸合資会社 蒲田喜代松 網干
山本合名会社 山本真蔵 網干
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