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アンデルセン「マッチ売りの少女」の絵本

デンマークが誇る世界的な童話作家であり詩人、そして旅行記も数多く書き残したハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)は、1805年4月2日にオーデンセという町で生まれました。日本で言えば幕末から明治時代にかけて生きた人です。アンデルセンが生きた19世紀のヨーロッパは、近代的工業化を目指した時代を迎えていました。そんななか、ヨーロッパで発明されたマッチも新しい産業のひとつでした。 アンデルセンが残した150以上の童話、『みにくいアヒルの子』、『はだかの王様』、『おやゆび姫』、そして『マッチ売りの少女』などは今も世界中で読みつがれています。 『マッチ売りの少女』が刊行されたのは、1848年、アンデルセンが43歳の時、『新童話集』第二巻第二集として『ある母親の物語』、『幸福な一家』などと併せて出版されました。 物語のあらすじは、「大晦日の晩に貧しい少女が雪の降る町のなか、マッチを売り歩いていました。途中、馬車をよけた拍子にクツが脱げ、はだしになって帽子もかぶらず震えながら一日中、歩いてもマッチは売れません。家へ帰ればお父さんにしかられるにきまっています。
あまりの寒さでこごえてしまった少女は家のかげにたたずみ、マッチを一本とりだして擦ってみました。「シュッ」と火花が出ました。手をかざすと暖かくストーブの前に座っているような気がしました。でも、すぐに消えてしまいます。 そして、二本目、三本目と擦る度にガチョウの丸焼きや美味しそうなごちそう、クリスマスツリーが見えてきました。
次から次へと何本も擦った時に少女を一番可愛がってくれた死んだおばあさんが現れました。そして、おばあさんが消えてしまわないようにマッチを一束ぜんぶ擦ってしまいました。すると、少女はおばあさんに抱きかかえられながら空高く天国へ舞い上がっていきました。そこは、もうお腹を空かせることもなく、寒さに震えることもなく悲しいことは何一つないところでした。大晦日の日に少女はいっぱいのマッチの燃えがらのなかでこごえ死んでしまったのです。新年の朝、こごえ死んだ少女の姿を見た人々は「かわいそうに、あまりに寒かったのでマッチを擦って暖まろうとしたんだね」とお祈りをささげました。しかし、少女の見た素晴らしい幻のことを知っている人は誰もいませんでした。」 番外編として、アメリカでは、悲惨な結末を書き換えて、死んだハズの少女が息をふき返して金持ちの家に引き取られ幸せに暮らしたというハッピーエンドで終わらせるストーリィもあります。 本邦で最初に翻訳されたのは明治19(1886)年に出版された『ニューナショナル第三リードル独案内』に載っており、BARNS’S NEW NATIONAL READERS No.3を和訳したものとして『小サナル早附木売ノ娘』のタイトルで紹介されています。 古い絵本としては、明治35(1902)年、教科書専門出版印刷業社の金港堂が「金港堂お伽噺」シリーズのひとつに『マッチ売の小娘』として刊行、また、明治42(1909)年には、青年英文学叢書『マッチ売』(The Little Match Girl)が刊行されています。昭和に入ると、昭和11(1936)年、小山書店が発刊した少年世界文庫 第7巻としてアンデルセン『マッチ売の少女』、戦後では、昭和22(1947)年、愛育文庫、アンデルセン童話集(1)として『マッチ売り娘』が出版、昭和29(1954)年には日本書房から二三年生どうわ『マッチうりの少女』が出版されています。 タイトルの和訳遍歴をみると『小サナル早附木売ノ娘』から始まり、『マッチ売の小娘』、『マッチ売』、『マッチ売の少女』、『マッチ売り娘』、『マッチうりの少女』、『マッチ売りの女の子』といろいろ付けられましたが現在は『マッチ売りの少女』でほぼ定着しています。
アンデルセンが『マッチ売りの少女』を出版した1848年時は、今、普通に使われている塩素酸カリウムと赤リンを軸木と箱の側面に分けて作った安全マッチはまだ発明されてなく、摩擦マッチの一種、黄リンマッチが流通していた時代でした。ちなみに安全マッチが発明されたのは1855年(1852年の説もあり)にスウェーデンで開発され、『マッチ売りの少女』が出版されてから7年後のことです。 というわけで、マッチ開発の歴史の事実から見るとマッチ売りの少女が売り歩いていたマッチは黄リンマッチ。黄リンマッチにも箱に詰めて売られていたものもありますが、貧しい少女が布袋に入れて売っていた安価なマッチは高くつく箱入りのものではなく束ねたマッチ棒をヒモで縛って売っていたものでしょう。よって、絵本に描かれたマッチの描き方を見るとマッチ箱ではなく、ヒモで縛ったマッチの束のように描かれているのが正解のよう。 図版では筆者が集めた国内外の『マッチ売りの少女』の絵本を紹介いたします。その一冊、一冊には多くの作家による絵と翻訳文が描かれ、綴られています。
参考文献: 『アンデルセン生誕200年展』図録、印刷博物館、2006 『アンデルセンの生涯』山室 静、新潮社、2005