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Column01:マッチの発明は、ヨーロッパから

世界制覇を目指したマッチ大国、スウェーデン。

Column Content
Column01|マッチの発明は、ヨーロッパから
Column02|清水 誠と新燧社商標
Column03|国産第一号の燐票いろいろ
Column04 | 岩谷の天狗煙草票
Column05 | スウェーデンにある世界唯一のマッチ博物館
Column06 | 苫小牧市博物館 「マッチワンダーランド」展覧会記
column07 | 神戸大学付属図書館「近代神戸の源流を訪ねて・鈴木商店とマッチ産業の盛衰」展覧会記
column08 | アンデルセン「マッチ売りの少女」の絵本
column09 | マッチと花火
column10 | 木版の版木商標
Column11 | 中華民国向け燐票
Column12 | インド向け輸出マッチ
Column13 | 幻の大元帥票・前編
Column14 | 幻の大元帥票・後編

西洋化学からマッチの発明へ

詳細へ オランダのルシファーズ・マッチ R.ベルのルシファーズ・マッチ N.ジョーンズのルシファーズ・マッチ
 サイト・ミュージアム「マッチの世界」がスタートする2005年は、国産マッチが作られ始めてちょうど130年にあたる記念の年。
 以前はあたりまえのように日常品として使っていたマッチも、その歴史は?と聞かれてみると実は何も知らないトリビアの世界かと思う。
 そこで今回のコラム第1弾は、誰もが存在は知っているけれど深く考えたことのないマッチの事始めをヨーロッパでの発明からひも解いてみよう。
 マッチの発明は、遠いむかしの17世紀に燐(りん)の発見から始まって、発火温度の低い燐の性質を活用することでようやく19世紀にヨーロッパで火をつける発火具が発明された。火は人間の生活にとって不可欠なものでも扱いづらい危険な存在、発火具の開発、実用化については試行錯誤の連続であったようだ。
 ヨーロッパの各国で化学の延長として研究開発がなされた結果、記録として有名なものは1827年、イギリスの薬剤師J. ウォーカー(John Walker)が発明した、フリクションライト(Friction Lights)とも呼ばれた摩擦マッチがある。

 このウォーカーマッチはイギリスのサムエル. ジョーンズ(S. Jones)によってルシファーマッチ(Lucifers)の名で製品化し、販売された。さらに外箱の上にサンドペーパーを貼付けた製品をコングリーブマッチ(Congreves)と名付けて売り出した。見かけは現在のものに近いが火つきは悪く、火がつくと飛び散り、二酸化硫黄(イオウ)の悪臭もするという今から見ると欠点だらけであった。

黄燐マッチの発明

詳細へ コングリーブ・ライツ
 この欠点を改善したのが黄燐を使っての摩擦マッチだった。
黄りんは強い毒性を持ち、発火点も異常に低く扱いづらい物質であったが、1831年、フランスの化学者C. ソーリア(Charles Sauria)は、その発火点の低さを利用して発火剤として取り入れ、塩素酸カリウム、硫黄のほか摩擦剤としてガラス粉を使いこれらを膠(にかわ)で練ったものをマッチ軸としてみたところ、これまでのマッチとは違い、火つきが良く、どこで擦っても発火するマッチとして評判となった。
詳細へ スウェーデン、イェンシェピング社  その後、各国で開発が進められ、1833年頃から、フランスはもとよりスウェーデン、ドイツ、ハンガリー、イギリスなどで製造され、ヨーロッパ全土にわたって普及していった。なかでもスウェーデンは先見の明があり、イェンシェピング社(Jönköping)がマッチの大工場を作り、大々的に黄りんマッチを製造販売していった。
 しかし、黄りんマッチにも大きな問題点があった。黄りんの持つ毒性とどこで擦っても発火することは便利ではあったが、逆にわずかな摩擦、衝撃でも発火したり、温度上昇による自然発火が火災事故を併発したり、さらに製造中に黄りんを含む蒸気を吸い込み「燐中毒壊疽(りんちゅうどくえそ)」という職業病に冒される工員が多発し、大きな社会問題にまで発展していった。

スウェーデン式安全マッチの開発

詳細へ スウェーデン式安全マッチの記念切手 スリー・スター ヴァルカン
 問題を抱えた黄りんマッチに代わる新たな開発が待たれるなか、同じ燐でも自然発火温度が高く、毒性もない赤みを帯びた赤りんが1845年、オーストリアのA .V .シュロッター(Anton Von Schrötter)によって発見された。そして、1855年、スウェーデン、イェンシェピング社のJ. E. ルンドストレーム(Johan Edvard Lundström)によって発火剤と燃焼剤を分離させた安全マッチ(Safety Strike on Box Match)が発明された。
詳細へ タイガーブランド三方貼 ARKブランド三方貼 ARKブランド イギリス、ブライアント・アンド・メイ社  この分離発火型の安全マッチは、頭薬(とうやく)(塩酸化カリウム、硫黄、ガラス粉を膠で練ったもの)を塗ったマッチ軸を赤りんが塗ってある側薬(そくやく)(箱の側面)にこすりつけて発火させる現在のマッチに近いかたちで、イェンシェピング社はこの特許を取りこれ以後、「スウェーデン式安全マッチ」として世界に君臨、マッチ大国を作り上げることになる。
 同じ時期にドイツのB. ボッドガー(B. Böttger)も分離発火型の安全マッチを考えつき特許を取得し、それをイギリスのブライアント・アンド・メイ社(Bryant & May)が1865年に買取り、製造販売を始めた。

摩擦マッチの硫化燐マッチ

詳細へ 葉巻用の耐風マッチ ポケット・キャンドル・マッチ
 なお、アメリカ西部劇などで目にするカウボーイがブーツの底で格好良く火をつける場面に登場するマッチは毒性の強い黄りんを硫化りんに代えた硫化りんマッチ(Strike Anywhere Matches)といって黄りんマッチではない。
 1869年、フランスのG. ルモアン
(G. Lemoine)が黄りんに代わる物質として、毒性もなく、100℃で自然発火する硫化燐を発見し、1898年にようやくマッチとして商品化された。
 西洋化学の発展によって安全マッチが発明されたことでヨーロッパのマッチ産業は盛んとなり、世界へ向けて絶対的優位な立場を築きあげた。
その時、日本はまだ明治をも迎えてなく、30年ほど遅れて1875年にあたる明治8年、清水 誠によりようやく試作に成功する。
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