岩谷の天狗煙草票

広告の親玉、赤天狗参上

特別展「広告の親玉 赤天狗参上! ~明治のたばこ王 岩谷松平」特別展「広告の親玉 赤天狗参上! ~明治のたばこ王 岩谷松平」:1階受付看板。2006年1月28日~3月12日まで開催。主催・たばこと塩の博物館、企画協力・薩摩川内市川内歴史資料館
平成18年1月から3月まで渋谷、たばこと塩の博物館に於いて「広告の親玉 赤天狗参上!~明治のたばこ王岩谷松平~」の特別展が開催された。会場には初めてお目にかかる岩谷松平(いわやまつへい)着用の赤服上着や岩谷が使用した机、銀座邸の応接室再現などが当時の各種たばこ、ポスター、貴重な資料とともに展示され、明治華やかなりし頃の雰囲気を味わうことが出来た大展覧会であった。

岩谷天狗、銀座街に登場

岩谷松平は、嘉永2(1849)年に薩摩(鹿児島県)に生まれ、明治2(1869)年、岩谷本家の家督を継ぐが、明治10(1877)年の西南戦争による家財焼失を契機に上京し、明治11(1878)年、銀座三丁目に「薩摩屋」を構え呉服反物や薩摩の特産品を販売しはじめた。 明治に入り東京などの都市を中心に次第にキセルで煙草を吸っていた時代からハイカラの象徴のひとつともなった紙巻たばこが流行りだしたのを機に岩谷も明治17(1884)年頃からたばこ製造を始め、口付紙巻たばこ「天狗たばこ」を発売する。 岩谷自ら、その宣伝の先頭に立ち、当時にはなかった独自の広告戦略を編み出し、新聞広告がまだ一般化されていない時代に紙上で景品付きという販売法の広告を出し、紙巻たばこを宣伝した。
天狗燐寸・赤刷り 天狗燐寸・赤刷り:和風意匠の天狗キャラクター 天狗燐寸・黒刷り 天狗燐寸・黒刷り:和風意匠の天狗キャラクター
社名を「岩谷商会」、ブランドネームを「天狗煙草」、天狗のキャラクターのもと、トレードマークを「赤天狗」、島津家に似せた「丸に十の字」とし、コーポレートカラーはすべてを赤一色、岩谷自身、赤いコートを身にまとい自らを「大安売りの大隊長」と名乗り、赤い馬車に乗って銀座街を宣伝カーの如く走りまわった。 謳い文句として「東洋煙草大王」、「国益の親玉」を掲げ、キャッチフレーズも「驚く勿れ税金たったの五十万円、慈善職工三万人」(明治30年代初頭)とその景気の良さを強烈な広告宣伝で煙草界を席捲しようとしていた。
天狗煙草マッチ・赤刷り 天狗煙草マッチ・赤刷り:東洋煙草大王。「驚く勿れ税金二百万円、慈善職工十万人」。明治35年時のキャッチコピー 天狗煙草マッチ・黒刷り 天狗煙草マッチ・黒刷り:東洋煙草大王。「驚く勿れ税金五十万円、慈善職工三万人」。明治30年代初頭時のキャッチコピー

東の岩谷、西の村井との宣伝合戦

そんな時、京都から岩谷同様、時代の流れを感じ取り紙巻たばこを開発していた村井吉兵衛が岩谷の噂を聞きつけ東京に「村井兄弟商会」として進出、明治25(1892)年、日本橋区室町二丁目に支店を出し、ここから純日本葉使用の九州男児、岩谷と外国資本と組み、アメリカ葉を取り入れた西洋仕込みの村井との激しい一大商戦が繰り広げられるのである。 村井はたばこ名を「サンライス」(明治24年発売)、「ヒーロー」(明治27年発売)などハイカラな洋式名を付け、外国製たばこのデザインを真似た西洋風なパッケージデザインは人気を呼んだ。 これに対して愛国の士、岩谷は和風意匠の天狗、鷹、富士山、家紋をメインに配した和魂洋才的なパッケージをほどこし、たばこ名も天狗にこだわり、品質等級では「金天狗」、「銀天狗」、太さでは「大天狗」「 中天狗」などと名付け、また村井への対抗心から「輸入退治天狗」、「愛国天狗」、「 国益天狗」、「御慶天狗」の天狗だらけの銘柄名で徹底的に対抗した。
大天狗 大天狗:太巻たばこ、50本入、10銭 中天狗 中天狗:細巻たばこ、50本入、8銭 国益天狗 国益天狗:口付紙巻たばこ、20本入、5銭。明治31年頃発売 愛国天狗 愛国天狗:口付紙巻たばこ、20本入、4銭 恩賜紀念 恩賜紀念:口付紙巻たばこ、20本入、6銭。明治30年に「御賜」を改名して発売 日乃出・茶刷り 日乃出・茶刷り:口付紙巻たばこ、20本入、5銭。明治36年頃発売 日乃出・赤刷り 日乃出・赤刷り:口付紙巻たばこ、20本入、5銭。明治36年頃発売 吉野 吉野:口付紙巻たばこ、20本入、3銭。明治36年頃発売 恩賜紀念 富士:口付紙巻たばこ、20本入、5銭。明治36年頃に発売
こうした岩谷商会と村井兄弟商会との宣伝合戦が当時の社会問題にもなったなか、明治時代には、他に「牡丹たばこ」の千葉松兵衛(東京、千葉商店)などたばこの製造業者は5000余り、銘柄は実に10万種にもなっていたという。 そこにはたばこを包装するパッケージをいかに美しく、購買欲をそそる魅力的なものにするかのデザインと印刷技術の競争意識の問題もかかわっていた。 村井は、外国の最新技術を導入した東洋印刷株式会社を設立、対する岩谷は、大蔵省紙幣寮印刷局を辞めた凸版室長、木村延吉と彫刻室長、降矢銀次郎が明治33(1900)年に興した凸版印刷合資会社と組み、村井製品に対抗できる精緻なパッケージやポスター等の宣伝物を手がけていった。これが、現在の凸版印刷株式会社の前身である。

【天狗名煙草一覧】

製品名 入り本数 定価 種類
岩谷天狗 20 本 3 銭 口付紙巻たばこ
白天狗 50 本 5 銭 口付紙巻たばこ
赤天狗 50 本 5 銭 口付紙巻たばこ
青天狗 50 本 6 銭 口付紙巻たばこ
黒天狗 100 本 5 銭 口付紙巻たばこ
銀天狗 50 本 10 銭 口付紙巻たばこ
金天狗 50 本 12 銭 口付紙巻たばこ
小天狗 50 本 7 銭 口付紙巻たばこ
中天狗 50 本 8 銭 口付紙巻たばこ
大天狗 50 本 10 銭 口付紙巻たばこ
日の出天狗 20 本 3 銭 口付紙巻たばこ
月天狗 50 本 15 銭 口付紙巻たばこ
陸軍天狗 10 本 1 銭 口付紙巻たばこ
海軍天狗 10 本 2 銭 口付紙巻たばこ
義兵天狗 20 本 2 銭 口付紙巻たばこ
征清天狗 20 本 4 銭 口付紙巻たばこ
日本天狗 50 本 10 銭 口付紙巻たばこ
愛国天狗 20 本 4 銭 口付紙巻たばこ
国益天狗 20 本 5 銭 口付紙巻たばこ
輸入退治天狗 10 本 口付紙巻たばこ
日英同盟天狗 10 本 5 銭 口付紙巻たばこ
ペルリ天狗 20 本 口付紙巻たばこ
御慶天狗 口付紙巻たばこ
鷹天狗 20 本 6 銭 口付紙巻たばこ
木の葉天狗 100 本 6 銭 口付紙巻たばこ
強天狗 100 本 28 銭 口付紙巻たばこ
丁天狗 50 匁 15 銭 刻たばこ
丙天狗 50 匁 18 銭 刻たばこ
甲天狗 50 匁 28 銭 刻たばこ


民営から官営へ

東洋煙草大王 天狗煙草・暦付ポスター東洋煙草大王 天狗煙草・暦付ポスター:明治34年時のキャッチフレーズは「驚く勿れ税金たったの百万円、慈善職工五万人」だった。「商一位薫一等国益大明神、製造高金五百万円」のサブコピーとともに「東洋名物」として台湾、中国、朝鮮、東南アジアへも輸出していたことが読み取れる。石版色刷り内に活字活版刷り
しかし、花盛りであった岩谷、村井らによるたばこの民営時代は、日露戦争の戦費調達のため、明治37(1904)年7月に施行された「煙草専売法」により、約30年続いた明治民営期は終焉を迎えるのである。 村井の東洋印刷株式会社は専売局の伏見分工場となり、戦後は日本専売公社の京都印刷工場となった。 岩谷は煙草専売法施行後、渋谷に広大な土地を購入し、今度は「豚天狗」として養豚業を行いながら晩年を過ごした。 たばこも製造業者が自社のパッケージに力を注いだという点ではマッチ製造業者にも共通するものがある。 また、外国製たばこや国産の売れ行きのよい人気たばこの商標、デザイン、銘柄名が多々模倣されていたこともあまり喜ばしくないマッチラベルと共通の悩みを本家のたばこ業者はかかえていた。 ここでは、岩谷商会が景品として配った天狗たばこ意匠を配した小型の宣伝用マッチラベルの数々と当時の派手な赤天狗の暦付ポスターもご披露し、文明開化の時代を彷彿とさせる明治の香りの一端を味わって戴けたらと思う。